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08/13/2005

8.12日航機墜落事故に思う。

あの520人の命が犠牲になった大事故から20年目、ドキュメント思わず見入った。
今でも記憶の中にある。
高校卒業した年。大学受験に失敗し、進路を悩んでいた浪人予備校時代だった。
就職した同級生が大人に見えた。好きな彼女にも告白できずに、うだうだしてた頃。
白井貴子のコンサートに初めて行ったっけ、懐かしいね。

お盆を前に、誘惑に負けて甲子園の野球を見ていたと思う。そんな夕方のニュース速報。
羽田発大阪行きの日航機123便が消息を立つ。長野県北相木村のあたりに墜落した。
みんなそれぞれ、仕事、帰省、甲子園の応援などで偶然、乗り合わせた。
歌手坂本九さんも大阪に仕事で向かうとのことで、帰らぬ人になった。
奇跡的に助かった4名の方がいたことは、悲劇の中で、一縷の望みが繋がった瞬間でもあった。

当時、まだ北相木村がどこら辺なのか、知る由もなく、思わず地図を広げたものである。
それから、5年後、就職が決まって、最初の赴任地が、この近くになるとは思いもよらず。
長野県側から、上野村、御巣鷹山を眺めることになる。思わず足がすくんだ。
520名の命を一瞬で失った場所なんで、思わず手を合わせたことを思い出す。
さぞ、無念であったろうかと、20年経った今、沈黙を破って、ドキュメンタリー化がなされてまたそのときの記憶がよみがえってきた。
操縦士の高浜機長は絶望の中で、最後まで諦めずに尽くされていたことを改めて感じた。
ダッチロール、急降下のなかで、家族宛てに遺書を書いた方、不時着したときに乗客を誘導するためのアナウンスメモを残した客室乗務員の方、9歳で一人で大阪行きの飛行機に乗った美谷島健くん。
この年、PL学園が宇部商にサヨナラ勝ちの劇的な勝利で全国制覇。桑田、清原のKKコンビの最後の夏だった。「甲子園は清原のためにあるのかあ!」その清原が好きだったという健君は帰ってこない。
奇しくも、大魔神佐々木引退。清原と同い年、甲子園活躍した第67回大会に触れた記事のあとでした。

墜落した御巣鷹山の当時、上野村の黒沢村長も現在91歳でご健在。
「人は20年目の節目というかもしれないが、我々には節目なんてない。」
「21年目も19年目も同じよ。遺族だってそうでしょ。」

「人間って色々起こりますよね。一つ困難を乗り越えれば、また次の問題が起きて、川の流れと一緒ですね。」

「いつまでも、いつまでも亡くなった人への思いはかき消すことが出来ない。だから歩んでいけるんですよ。」
美谷島健君のお母さんの言葉が印象的でした。

美谷島さんが息子さんを失った20年前がちょうど今の俺の年齢です。
先日、我が家の小学5年生息子、小学2年生娘が今年初めて、子供だけで高速バスに乗って、おばあちゃんちに二人旅。1時間半ほどなんで、安全かな思いながらも、出掛ける時にはやっぱり、心配してしまうのが親心。
無事着いたので良かったけど、今年は大きな電車事故もあったし、数日前には長野では白馬の大雪渓で崩落事故あったり・・・・・今日も飛行機のエンジントラブルで引き返す事故あったみたいだし。
因縁めいたものはないとは思うが、そういう不慮な事故って人間ではどうしようもない。
不運としかいいようがないよね。
技術革新で便はよくなった。しかし、その技術の中で安全に生きられる世の中であってほしい。
このような惨事を繰り返さないためにもこの教訓を活かしていって欲しいと思う。
改めてご冥福をお祈りします。

お盆休み、先祖を敬いながらも、ゆっくり甲子園観戦といきますかあ~。

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